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与えられた仕事をこなす養護教諭から、自ら仕事を創る養護教諭へ
五十嵐 裕子
最初に赴任した附属養護学校で、私は学校保健の専門家、しっかりしなければと自分自身に言い聞かせ、最初に自分の考えを出さなければと思い、最初の会議で学校保健計画を出した時、「先生はここの子どものことがわかってない、ここの教育もわかってない」と言われたことが、とてもショックでした。
近畿学校保健学会は50周年を迎えました。過去の資料を読む中で、第11回年次学会(1964年)のシンポジウム「学校保健をいかに強化するか」で養護教諭の立場から今出氏が卒業後1年の養護教諭に対して行った調査結果をもとに述べておられることを引用すると、『養護教諭が何であるかということは養教自身にも判然としない。「何をやるべきかよく判らない」と私たち自身が言い、執務内容が「雑然としている」「無意味なことが多すぎる」と言う。これまたついには養教の執務内容は「つまらない」となっている。このような解答の中にも「養教として学校に就職した以上は養教に徹したい」という願いがある。養護教諭は、健康に関する教育者である、私たちこのように考えている。…養護教諭の対象とするのは主として肉体的方面であって、これに対して専門的知識と技術をもってあたる……しかし、養護教諭は教育の目的としての精神的社会的な他の健康の二面にも当然対処すべきはずである。この養護教諭の位置を明確につかんでいない……』この文章に出会い驚きと同時に自分自身の仕事の歩みと重なりました。
学校保健も学校教育もわかっているつもりでしたが、今思い返しますと現場に理解されないのであれば、わかっていなかったのです。何よりも、指摘された子どものこと、そこでの教育を一番わかっていなかったのです。昭和46年(1971)から仕事を始めたので、今出氏の調査時のような現状は解決されていました。教育について養護教諭として勤務して、改めて教育基本法、学校教育法、指導要領等を読み返したりしました。また勤務校が養護学校だったので特殊教育については勉強不足でしたので、現場の教師から話しを聞きながら、教育活動に積極的に参加しました。どうしてこの活動がこの子どもに必要なのか疑問を持つと先輩たちに教えてもらいました。本を買い研修会にも参加しました。校内の研究グループに入り眼の前にいる子どもにあった教育について一緒に考えました。この時期は、どんな教育が行われているのかを理解するのに夢中でした。そして、この学会では、養護教諭の仲間内だけでの情報交換の場ではなく、学校教育全体で子どもの健康課題に取り組もうとする姿勢が有り、常に啓発されたものでした。
いうまでもなく、学校保健は学校衛生としてスタートし学校教育を円滑に進めるために、子どもたちの様々な健康問題を解決してきました。現在の学校保健法は昭和33年(1958)に制定され、その第1条に、「この法律は、学校における保健管理に関し必要な事項を定め、児童、生徒、学生及び幼児並びに職員の健康の保持増進を図り、もって学校教育の円滑な実施とその成果の確保に資することを目的する」と書かれています。養護教諭は昭和16年(1941)に養護訓導制度ができて、訓導として学校におかれて以来60年が過ぎました。児童・生徒を対象としている学校保健は病院ではなく学校という土俵の中で展開されています。本来は健康な子どもたちの集まりであり、そこではそれぞれの学校の目的である教育が行われています。
学校教育は明治5年(1872)に日本に近代的な教育制度ができてから130年、この間戦後の教育改革、そして今、第三の教育改革と呼ばれている改革が進められています。私は次の勤務校である附属明石中学校で、この第三の教育改革を教諭の立場で考える機会を得ました。最初は保健室登校を続けた生徒のつぶやき「からだは保健室、こころは数学教室」から、生徒は保健室にいたくているのではない、教室に戻れるような学級作りを進めるための心の健康チェックの導入でした。心を育てることを得意とする学校教育の場で精神保健の展開を進め現在では学校全体の取り組み、人間学習の中での自分作り仲間作りになっています。10年ほど前から、「健康な人間」に育つようにという願いのもとに、幼小中の教師が12ヵ年の教育について考えを出し合いました。そこでは、21世紀は現在のような学校は存在するのだろうかという危機感からスタートしました。問われている課題は学習の成果だけではなく、教育の目的である人間形成を学校が果たして担ってきたのだろうかということでした。不登校、いじめ、心を病んでいるとしか思えない様々な問題に対して、学校をどう変えていくのか一人ひとりの教師に問いかけられました。そして達した結論は「学校とは、学びたいことが学べる場であり、学ぶ必要があることを学べる場である」でした。学校を真の学び舎にするためにそれぞれの教師が一人ひとりの生徒にあったカリキュラムが必要と考え実践しています。
生徒の姿として、本当に学びたいことに集中している時は、たとえ「しんどく」ても保健室には来ません。健康教育も総合的な学習として家庭科の教師と「健康的なライフスタイルを確立しよう」の講座を設定し学習を進めていますが、学年学級の枠を外し生徒が自分で学習したいこととして選んでいます。それぞれが一日の献立を考え、我が家の朝食つくり、昼食作りをしています。また、万歩計をつけての運動量調査などをして生活改善に取り組んでいます。希望者も多く家庭で事前に保護者と実習をしてきます。また、それに先立って、大学の協力で生活習慣病調査を保護者と本人の承諾を得て、60%以上の生徒が継続して毎年受け、卒業後もクラス会を兼ねてヘルスチェックを受けにきています。保健管理として絶対に
こなさなければならない仕事に加えて、生徒の様子から必要な学校保健の課題を見つけ計画し実践していくことは、楽しい創る仕事です。
私は、学校現場に常駐している学校保健の専門家として、また教諭と言う名に相応しい教育の専門家として養護教諭の仕事を「こなす」のではなく「創っていきたい」と考えながら仕事を続けてきたつもりです。
学会に期待することは、養護教諭が道に迷わないように、一人よがりにならないように、学問的裏づけをしていただければと願っています。学校教育が大きく変わったように、学校保健ももっともっと子どもを中心にして、それぞれの学校にあった学校保健が展開できるような後押しをしていただければと思います。その上で、学校教育の根底に肉薄するような提言が学会から数多く発信できればと願っております。
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