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近畿学校保健学会50年の歩みと学校薬剤師
小川 善雄
近畿学校保健学会50年の歩みの中で学校薬剤師が毎回の如く発表したのは、第4回学会から第19回学会までである。その後は第49回学会までに僅かに5回の発表を数えるにすぎず、その内容も本来の職務である学校環境衛生から距離をおいたものになっている。
しかし、その間に全国学校保健研究大会や日本薬剤師会学術大会などでは毎年学校薬剤師による発表がなされているのである。発表の場が学会から薬剤師を中心にした全国大会の学校保健分野の場に移り今日に至っているのである。
このことは、教育現場における学校環境衛生の現状を重視し、お互いに情報や意見を交換する方向にむかったということである。何時の頃からか、学校薬剤師の間で持たれるようになった「学会は理論的、学術的な内容をもったもので、教育現場に応用して役立てるよりも、研究発表と新しい学説を紹介する場である」という考え方が根底にあったと思われる。しかし、学会を学校薬剤師が全く否定した訳ではなくて、学会において発表はしないけれど参加することで知識の吸収には努めていたようである。
昭和33年に「大学以外の学校に学校薬剤師をおくものとする」という学校保健法が制定され、その後3年間の猶予期間が設けられたので、昭和36年をもって学校薬剤師が必置制となったと受け止めている。この3年間はどれ程の成果が現実にあったかは別にして、学校保健の意義を教育現場に浸透させる良い機会であったと思われる。
学校保健法が制定された昭和33年には、学校環境衛生の維持管理をとおして、児童生徒の健康の保持増進に寄与していくという大きな希望と期待をもった先輩学校薬剤師の数は多かったと思われる。
その意気ごみは第4回の学会発表「学校保健衛生に関する基礎調査について」であり、その後の学校環境衛生に関する一連の発表に続いたものと思われる。
また想像するに、昭和37年頃には学校環境衛生の基準が出るという情報も入手されていたであろうし、学校薬剤師は明るい見通しに包まれていたと思われる。
この辺りの事情は、第11回学会における「学校保健を如何に強化するか」というシンポジウムの中で、学校薬剤師の立場からの京都府学校薬剤師会田村豊太郎氏の発言に垣間見ることが出来る。
それはやがて出されるであろう学校環境衛生の基準に対する期待と学校環境衛生活動の本質にふれたもので、今日においても充分に通用する内容のものである。
その一つは学校環境衛生の向上を計ることは、保健教育との関連から学校教職員のみならず、PTA、児童生徒も含めて学校全体の問題として取り組む必要があること、また環境衛生の基準が制定され日常検査と定期検査の二通りが文部省において計画されているという前提で、環境衛生は日常的なものであるゆえ、日々の学校生活について注意することが大切で、現場の先生方の真剣な観察こそが必要にして有効適切な方法であること、また日常検査とは、検査器具を用いない一般常識的な検査であって点検観察を行う方法であると、現行法にいう日常点検にも言及しているのである。
しかし、このシンポジウムの中で養護教諭の立場から発言している今出悦子氏の、校長や教頭すらが「学校保健は学校教育と別個としか考えられない」、「保健に関心がない」という人々であり、云々という発言は、学校保健法制定6年後にしてなおこの程度の認識しか教育現場に育っていなかったということである。教育には教科等をとおす教育のほかに、健康をとおす教育があることが理解されていなかったのである。学校薬剤師が学校環境衛生の維持管理を基に学校保健活動を推進しようとしても、教育現場との間にある認識のずれは大きく現在においても百%改善されたとはいえない状況であると思われる。
近畿学校保健学会50年の歩みの中で学校薬剤師は常に歩調を共にしてきたとは思えない部分もあるが、創設50周年を機会に積極的に学会に参加し発表することで、従来とは違った角度から学校保健そのものを見直すことが必要なことではないかと考えている次第である。
学会と学校保健を推進していく学校保健会は車の両輪であるという永井豊太郎第14回学会長の主張を真摯に受け止め、50年という節目を機にして原点に立返ることが、今後の学校薬剤師の飛躍につながるものであるという感じを強くもったところである。
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