近畿学校保健学会

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 近畿学校保健学会へのそのときどきの想い それぞれの立場からみた50年のあゆみ

 

学校医から見た近畿学校保健学会の50年の歩み 

竹中 恒夫


校医をのぞいた、いや養護教諭の方々以外の会員は、学校医の実態をご存知だろうか。例えば、昭和31年の本会のシンポジウムで、校医として大島先生が学校医の待遇改善を訴えておられる。同じ頃、堺市学校医会規則に、学校医は無報酬であると記載されている。校医自らが校医としての学校への出務費は、不要であるといったのである。

当時は、ツ反・BCGを含む予防接種に出務すると、僅かであるが接種した児童生徒の人数に応じた接種手当てが支給されていたので、行政はそれが校医手当と考えていたのではないか。所謂校医手当てが支給されたのは何時頃だったであろう。冒頭から待遇のことにふれたのは、学校保健法の施行規則にこまかく校医の職務について定めているが、随分長く校医は無報酬で働いていたという実態をうかがい知ることができるからである。校医の職務の大部分は、無報酬であったといえるし、又ツ反・BCGを含む予防接種が、昭和年代の学校医の最も大きな仕事であったともいえる。少なくとも現場の学校医はそう理解していた。勿論検診も健康相談もちゃんとしていたが。

又筆者が近畿学校保健学会に演題を出していただいたのも「某中学に於ける結核集団感染」についてであった。学校現場では、保護者の反対のため先ずインフルエンザの予防接種がなくなり、やがてすべての予防接種は、医療機関で行う様になり、ツ反・BCGだけが学校医の仕事として残った。

しかし心臓検診、腎臓検診(主として検尿だけであるが)など養護教諭の仕事は減るどころかむしろ増える一方である。トラコーマがなくなり、眼科校医の仕事の比重は視力障碍に移り、耳鼻科校医も聴力障碍とアレルギー性鼻炎が仕事の中心となった。

しかし、感染症のこわさは、それが何時牙をむくか分からない事にある。たまたまある年は集団食中毒が散発していたが、我々は学校給食によるとしか考えられない大腸菌0-157による集団感染を経験した。7,996名の学童が集団下痢症に罹患し、HUS(溶血性尿毒症侯群)により3名の死亡をみた。平成8年7月13日、当日土曜日で休みだったので学校から情報が入らなかったが、下痢・腹痛を訴える患者が堺市南東部の医療機関を多数受診し、且つ全員児童に限られた。その後の事はマスコミの報道で多くの人もご存知であるので省略させていただく。勿論小学校は臨時休校となったが、校医は、保護者に二次感染の予防について等指導することとなった。学校医会としては中学校のプール授業中止を進言する位にとどまった。しかし9月2日学校給食を中止したまま二学期の授業を再開することになったが「検便で菌陰性を確認されていない学童の登校の可否については、学校医の意見による」という教育長の市議会での答弁で、二次感染の可能性の判断を我々がすることになった。ようやく入院中の学童をのぞいて授業が再開されたが、学校給食再開は、「学校給食検討委員会」の答申に任された。同委員会のメンバーには、医療職は保健所長と衛生研究所長と校医会代表の私と3名で、残りは行政とPTA代表であった。1日も早い給食開始を迫るPTA代表に抵抗しながら3人で集団中毒を起こさない給食マニュアルづくりに努力したことも、今となっては思い出となってしまった。

そして同じ感染症といってもまったく対応の違う結核予防についても今年からツ反・BCGの廃止をみるに至った。ツ反・BCGが結核対策として無力とあれば問診によるしかないかもしれない。しかし集団感染が起こった場合、平成12年の本会特別報告のあった滋賀大学の結核感染にみられるように対応がなかなか難しいと思われる。

一方、いじめ・不登校の問題に直面すると、心の健康が校医の職務となった。しかし小児精神医療分野に於いては、学校医を指導する専門医の不足という現実と荒れる学校現場との狭間で学校医が悩んでいるというのが今日の姿である。又学校給食を通じて生活習慣病予防を見すえた食教育をはじめとして健康教育に参加する事も明日からの学校医のあるべき姿である事を銘記して筆をおく。

 

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