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「21世紀を生きぬく健康な子どもを求めて 第12回(最終回)」
新しい世紀の学校
和歌山県立医科大学看護短期大学部 部長 武田眞太郎
これまで「21世紀に学校はあるか」の問いに答えを出さないままに、ここまできたが、やはり学校は存在すべきである。
主要教科の基礎・基本に係わる学習は周到に準備されたプログラム学習によって、各自のペースで納得いくまで習熟するのが効果的であろう。だが、こころの健康の推進に不可欠なコミュニケーション・スキルの形成は、年齢の異なる多くの子どもたちとの直接的な交流の場があってはじめて可能になる。また、保健体育審議会が今後学校で取り組むべき健康教育の課題としてあげている薬物乱用や性の逸脱行動への対応はもちろんのこと、生活習慣病の予防にとって望ましい生活習慣の確立も、セルフ・ケアとはいっても子どもたちにとっては家庭でのしつけだけでは無理である。これらの人間形成に深く係わる取り組みの成果が社会から評価されるようになって、はじめて学校の存在価値が出てくる。
そこで、この連載のまとめに代えて、もし学校が存在するとしたらどんな学校になっているか、わが国の65歳以上人口が最も高率になると予測されていた2025年頃の学校を想定して、その姿の一端を描いてみよう。
野鳥のさえずりを聞きながら緑深い木立を通り抜けると、眼前にこぢんまりとした小学校が現われる。木々の茂みのなかには、人工的にならないように配慮された、子どもたちの冒険や探検の場が自然のままに用意されていて、あちこちから、子どもたちの歓声や明るいハーモニーが流れてくる。教師も一緒である。ここを訪れる者に対して、みんながお互いの信頼感からの爽やかな表情で、にこやかに挨拶してくれる。かつてよくみられた大声で怒鳴るような挨拶ではなく、自然に心が通い合う。この小学校の隣には中学校があるが、両者の間には、コミュニティー・センターがあって、地域の人々に解放されていた。このセンターはあらゆる年齢の利用者に対応できることを目指していて、子どもたちも、放課後や休日にはここを利用しており、専属の学芸員や社会教育主事をはじめセンターを利用している老人からも種々の助言を受けているという。
この小学校は都市部での標準的な規模の学校で、1学級の定員は25人。各学年2学級の編成で、在籍者は1学級平均22人であった。かつて、筆者らは、正視者が通常の大きさで板書された画数の多い教育漢字を姿勢を崩すことなく正しく読み取れる座席の範囲をシミュレーションしてみた結果として、1学級25人が限度であり、その場合は、標準的な教室で授業中閉窓したままでも、空気汚染は恕限度以下にとどまるので、学校環境衛生の立場からも、この25人を限度にすべきであると主張していたが、ようやく、適正規模の学級編制が実現したのである。なお、地方の小規模校では、かつての複式学級に近い形態で、年齢に関係なく、学習進度別の学級になっているところが多い。
どの学級も複数担任制で、どんなに小規模校であっても、またどんなに優れた人間理解の専門家がいたとしても、教師と子どもの相互関係には向き不向きがあり、担任が1人では、個に応じた的確な学級経営のできない場合が多いので、必ず複数の組み合わせになっている。通常、ベテラン教師と比較的若い教師のコンビが多く、どちらか1人は、大学院修士課程の終了者で専修免許を持っている。もちろん、養護教諭も複数配置が実現して、小学校では2〜3人、3人の場合は少なくとも1人は専修免許を持ち、保健主事になっている例が多い。なお、中学校や高校の場合は、各学年4学級程度の学校が多いので、各学年に1人の養護教諭が配置され、保健主事になると学年担当からは外れている。
授業の態様は、ほとんどの学校では、オープンシステムが中心で、厳選された基礎・基本はどの子どもも十分に習熟し、容易に活用できるところまで磨き上げられていて、中等教育から高等教育へと繋がるものになっている。また、課題別学習を支援する資料は、各学校の教材室に接続されたインターネットによって、データベースの豊富な資料や教材が、いながらにして検索、入手できるようになっている。
一時期、大学の入学者選抜の在り方が問題となり、選抜に高校の調査書を重視するようになったが、子どもたちは調査書を作成する教師に自分の弱点を見せず、常にいい子であろうとして仮面を被るようになったために、こころの問題に担任の教師は全く気づかないというような弊害が出てきた。こうしたことへの反省から、一人ひとりの人間理解と、それにもとづく子どもたち本人への直截なアドバイスが学級経営のなかで日常的になされるようになって、子どもたちは自分の長所短所を弁え、適性を見極めた上での進路選択が行われるようになり、本人が知らない内容の調査書が大学に送られるようなことはなくなった。その結果として、諸々の相談がよき理解者であり、最も信頼のできる存在である担任または副担任に持ち込まれ、教師によるカウンセリングが自然の形で行われるようになった。もちろん解決困難な問題には、専門家のコンサルテーションまたはスーパービジョンを受けることができる。
また、認知能力の偏りから学習上、行動上に困難をもついわゆるLD(学習障害または微細脳障害)が、学校側で正しく対応されないために、しばしばいじめや学級崩壊の引き金になっていたが、今では、副担任や養護教諭を中心に個別の治療教育的アプローチがきめ細かくとられるよう配慮されている。
このように、いまや前世紀末に大きく取り上げられていたような教育上の課題のほとんどは解決され、新しい学校教育の展開が希望をもって熱っぽく語られる時代になった。
なお、余談になるが、このとき人類最大の課題として新しくクローズアップされていたのは、クローン人間の誕生で、今までは生命倫理の大義名分によって避けてきたのであるが、ついに現実問題になった。これが普遍的になると、今までの家族の絆は根底からくつがえされ、学校教育が掲げてきた地域・家庭との連携は崩れ、地域保健の基本単位としても家庭の機能が期待できなくなると危惧されている。
――「21世紀を生きぬく健康な子どもを求めて 第12回(最終回)新しい世紀の学校」
健康教室 第50巻8号、1999 より転載――
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