近畿学校保健学会第43回以降における学会内外の動きとその時々の思い
――新しい課題と学会の可能性――
第43回近畿学校保健学会が開催されたのは平成8年(1996)でした。第43回年次学会が開催された1990年代中頃から現在までの10年に満たない年月の間に、我が国では多くの深刻な問題が次々と発生しました。平成7年(1995);阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、平成8年(1996);堺市の学校給食による大腸菌O‐157集団食中毒、平成9年(1997);神戸の中学生による小学生連続殺人事件、平成10年(1998);和歌山ヒ素入りカレー事件、平成13年(2001);大阪教育大学附属池田小学校における児童殺傷事件、明石の花火大会における圧死事件、牛海綿状脳症(BSE)等々。米国でも2001年9月11日同時多発テロが発生し、イラク戦争へ続く暗い連鎖が世界規模で起こっています。これらはそれぞれ表面的な現象は異なっていても、私達の暮らす現代社会が大きな質的変動を始めていることを示しているように思います。これらの事件や災害で被害を受けたり、最も深刻な影響を直接、間接に被ったのは子ども達です。そして我が国で起こった悲惨な事件・災害の多くは近畿圏で発生しました。これが単なる偶然であるのか、検証が必要であると考えています。
私は、近畿で子ども達の健康を守り支援するために先輩の諸先生がたゆまぬ努力を続けて築かれた近畿学校保健学会には今、ある特別の位置が与えられているように感じています。近畿地区にあって身近な健康・安全問題に取り組むことは、現代の健康課題に真正面からの取り組みにつながり、これらの課題解決は新しい学校保健の展望を切り開くことに結びつくと考えています。私達の学会に課せられたのは、困難でエネルギーを必要とする仕事ですが、近畿学校保健学会の可能性を大きく開くものでもあると思います。
第43回年次学会以降、毎年の年次学会では平均して40題弱の一般発表が行われ、各開催地区の特性を踏まえた、あるいはタイムリーなテーマによる特別講演、シンポジウムなどが行われました。この時期は社会の動向に対応して第15期中央教育審議会による「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」第一次、第二次答申、保健体育審議会による「生涯にわたる心身の健康の保持増進のための今後の健康に関する教育及びスポーツの振興の在り方について」答申、中央教育審議会「幼児期からの心の教育の在り方について」答申などの答申や幼稚園教育要領、小、中学校、高等学校学習指導要領の改訂による新しい教育課程の施行、「総合的な学習の時間」の設定、さらには「児童虐待防止法」制定など学校保健に関連する大きな変革が行われた時期でもあったのですが、近畿学校保健学会の毎年の研究発表、講演・シンポジウムにはこれらの大きな流れが柔軟に反映されてきました。
本学会は近畿6府県の回り持ちによる年1回の年次学会と幹事会・評議員会、総会などの学会行事、そして年3〜4回の学会通信発行によって運営されています。他の同類の学会には学会誌を持つところもありますが、本学会は学会誌を持ちません。安易に学会誌を持たず、年次学会と学会通信を中心としたスタイルを堅持してきたことが近畿学校保健学会に良い緊張感と求心力を生んできたと思います。幹事会、評議員会、年次学会では活発な議論が交わされました。議論は、時に熱く激しくなったこともありました。しかし、基本的にオープンで前向きでした。また当然のことですが、役員選挙は公正に行われてきました。私は、第43回年次学会の開催された平成8年(1996)以降の6年間本学会の幹事長を務めさせていただきましたが、このような学会のあり方は私にとってとてもありがたく、誇りでもありました。学会の透明性と公正な運用、緊張感のある議論は本学会の活力の源泉であると改めて思います。
前述のように、近畿地区では多くの深刻な災害・事件が発生しました。これらに対して近畿学校保健学会では、学校保健の立場からの様々な熱心で誠実な取り組みの報告がなされてきました。しかし、学会で報告された調査結果がうまくフィードバックできなかったり、傷跡が生々しい、デリケートな問題については学会としてきちんとした形で取り上げることができなかったという課題も生まれました。例えば、奈良県から学校給食による大腸菌O‐157食中毒事件の最初の事例報告があったにもかかわらず、同じ近畿圏の大阪府堺市で大規模な学校給食による食中毒の発生を許しました。また、神戸や大阪教育大学附属小学校の殺傷事件に関して、本学会は大きく貢献できませんでした。情報を生きた形で学校の現場にフィードバックするシステムの構築、地元であるが故にかえって客観的に議論する場である学会では触れることが難しいテーマに対する学会のあり方を探ることが求められていると思います。