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名誉会員 玉置 辨吉 先生の御長逝を悼む
大阪教育大学 名誉教授 伊東 祐一
去る4月13日、湯の峯温泉あづまや旅館(玉置先生の奥様の経営)の一室で、中食を済して一服しているとこへ、けたたましい電話のベルの音、受話器をとったところ、それは玉置先生の訃を知らせるものであった。
折柄、来湯中であった先生の御長男の令夫人、支配人と同道、車を田辺八曜荘に走らせた。この道は幾度か先生と往来した道である。八曜荘に着いた時は、次兄英夫氏(玉置病院長)のみで、奥様はこの朝、先生の御気分がよかったので、お参りに出かけられた留守中のことであったという。
生と死の間、先生の温容は眠る如くという言葉通り今にも眼をさまし、にこやかに語りかけられるように思われました。湯の峯への途中田辺にお見舞に立寄った節、お目にかかると興奮されるとのことで御遠慮申し上げたため、一年前に病床にお尋ねしたのが最後となってしまった。
学校医の方々の中には、学校保健に多大の熱意を持っておられる方は少くないが、先生のように己を捨てて公につくすという精神に徹した方は稀である。地域社会の児童・生徒の健康状態は勿論、それは教師・父兄との連繋がなければならぬという観点から、学校保健のみならず、社会教育の場における保健教育にも意を注がれていた。
私は学校保健ばかりでなく、先生が和歌山県温泉審議会委員をされていた関係上、温泉関係においても御交誼をいただいていたので、先生の御長逝は心淋しいといった程度のものではなく、憂愁の感、切なるものがある。先生の生前の性行を知るものとして、必らずや先生は羽化登仙されたことと信じてやまない。
――昭和47年6月25日 近畿学校保健学会通信 No.22 より――
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