|
第17回近畿学校保健学会 特別講演
発達期の性教育
大妻女子大学 児童学科 教授 平井 信義
1.性教育の意義と目的
性教育は、健康教育と人格教育とを通じて、人間の子孫を存続させ、文化を継承させることに目的がある。健康教育の意義は、他の身体器官と同様に、生殖器を大切にし、その清潔を保つことにあり、人格教育の意義は、異性を敬愛することにあるから、身体面と精神面とから、性教育が実現される必要がある。これは、心身の調和した発達にとって、極めて重要な教育の一つであると考える。
2.健康教育としての性教育
生殖器を清潔に保つ教育を実現するためには、不潔感や卑猥感を与えぬことから始めなければならない。従来、生殖器に関することになると、子どもに不潔感を与えたり、或いは卑猥感を養うような教育が行われてきた。生殖器が肛門に近接して位置しているところから、それを不潔視する傾向があるが、生理学的にみて、男性の生殖器も女性の生殖器も、極めてよく清潔が維持されている。この事実から出発して、正しい認識に立った教育により清潔な器官としての認識を与えることが必要となる。
また、生殖器に関することを卑猥(下品)なこととして、子どもがそれを口にすることを禁ずる傾向が認められるが、生殖器並びにその機能は、人間の子孫保存にとって極めて貴重であることを認識させる必要がある。
家庭や学校において正しい性教育が行われ、生殖器に対する清潔感が養われさえすれば、その他の場において不潔感や卑猥感が与えられても、それを排除することができるし、また、排除することができるように教育しなければならない。
そのためには、特に、思春期においては、生殖器およびその機能の生理学的知識をじゅうぶんに教える必要がある。思春期は、二次性徴が発現するとともに、自己ならびに異性の身体に関する知識を持ちたいという要求が強くなるからである。人間が出生するための機序についても、その疑問に対してはっきりと答えるべきである。
それらの機能を社会的・文化的に実現する必要があり、それが新皮質(脳)を持つ人間の在り方であり、他の動物と異なる点であることを強調したい。
3.人格教育としての性教育
人格教育は人間形成にとって最も中心的課題であるが、特に2つの性に分かれている人間においては、それぞれの社会的役割が尊重される必要がある。特に、分娩・出産・授乳の機能は、女性に多くの負担を負わせているが故に、男の子に対してその点の認識を与える必要がある。それを通じて、女性へのいたわりの気持が養われる。
また、男性と女性とがいっしょになって営まれる家庭の機能には、精神生産の意義があり、更にそこに生れてくる子どもの人格形成にとって極めて重要な役割をもっていることを教えなければならない。残念なことに、現在の家庭における夫婦の精神的調和はじゅうぶんなものとはいえず、離婚などもあって、不幸な子どもを作っている。将来の結婚生活の精神的調和を目ざして、人格を向上させることの意義について考え合うことは、特に思春期の子どもにとって必要である。また、両親の精神的調和は、性教育の基盤でもある。
わが国においては、今日もなお男尊女卑の風潮やそれにもとづく行動の様式が残っていることは、人格教育における性教育を阻害している大きな要因であるから、子どもたちが成人になった時には、男尊女尊の社会が実現されるように望みたい。家庭内においても、男の子と女の子を価値的に差別する風潮があれば、それを批判すべきであろう。
4.年齢別の性教育
年齢的に大別すると、思春期前の子どもの性教育と思春期に入っている子どもの性教育とは、具体的に異なる。思春期に達する前の子どもの教育は、生殖器を大切にする点を日常の生活の中で実現する範囲でよいが、思春期以後の子どもに対しては、すべての生理的機能について納得のいくまで教える必要がある。すなわち、生殖器の構造や機能、授精と性交の事実、妊娠、分娩などの経過を教える。性交の事実について省略して話すようなことがあると、子どもの疑問は継続し、他からの卑猥な知識を吸収することになる。人間においては、それらが社会的・文化的意義を持っており、特に人格関係に支えられていることが特徴となっていることを同時に話す。
異性を思う気持が思春期に強くなることも、必然的な現象である。従って、男女の交際を積極的に認めることを考えるべきであろう。現在の男女共学は、その意義の一部を果していると考えてよい。
生殖に関する知識を持つことも、異性と交友することも、古くから、教育上好ましくないことと考えられていた。従って、性や生殖に関する知識は、秘密裡に且つ罪悪感を伴ないながら、子どもたちが学習している。異性との交友も、隠れた場所で行なおうとする子どもがいるのは、大人たちから教育上好ましくないと言われることを知っているからである。このような発達現象にさからった教育を一日も早く取り去って、性や生殖の現象を明るい場で学習することができるよう性教育を軌道にのせる必要がある。
思春期に達するまでの性教育は、思春期以後の性教育の準備教育と考えてよく、それは、前述の如く、生殖器を大切に清潔にする教育と異性を敬愛する教育が主流となる。早くから具体的・生理的な事実を教えても、理解が困難であり、かえって不安や興味を刺激することになりかねない。
初潮教育が小学校5年生で行われることが多いが、生理学的な知識を与えても、じゅうぶんに消化しきれず、かえって不安を与えていることがある。初潮教育の目的は、生理という現象が一人前の女性として光栄ある現象であり、子孫を作る第一歩として大切な現象であるという自覚を促すことにある。初潮を待ち望む気持を養い、初潮の日には赤飯をたいて祝いたい。
精通現象についても当然教育すべきであるが、特にマスターべーションについての教育が必要である。マスターべーションは、手淫とか自?などと訳され、罪悪感を与えるような教育が行なわれてきたが、結婚年齢が上昇しており、現実にも95%の男子がこれを行っているから、むしろ「自浄」という言葉を与えて積極的に認めてはどうであろうか?
5.性文化と性教育
性を罪悪としていた戦前の考え方から解放して、性を人間存在の中にはっきりと位置づけることは必要である。特に、性衝動は人間において極めて強く与えられており、性交には快楽が因になっている。これらは、古い脳(視床下部)の機能として厳然と存在しているとみてよい。
しかしながら、人間には新しい脳の機能があり、高次の意志・感想・思索などがそこで働いている。その機能が、性の衝動や快楽を文化的なものとする。しかし、これらは教育によって実現されなければならない。性衝動が非常に強いだけに、それを文化的・社会的に統制することはしばしば困難となる。そこで、高僧や聖者が性と対決しなければならなかったことがうなずける。
このような観点からみると、現在の性文化の多くが、古い脳における性衝動や性の快楽の機能のみを謳歌しており、人間としてより高次の機能を見失っている。子どもたちがそれのみに触れる時には、性に対する一方的な認識が成立し、動物的な行動に傾く恐れがある。
古い脳における性衝動を新しい脳の機能によって統制する能力を養うためには、特に男の子に対しては欲求統制の能力(欲求不満耐性)を与えなければならない。これには、幼少時からの教育が積み重ねられる必要がある。意志の鍛錬といってもよい。一方、感情が美や道徳と結びついて情操にまで高まるためには、高い文化(音楽・美術など)を味わせる教育が必要となる。それらは、性が極めて高次に昇華されたものと見ることもできる。
結び
性が、人間存在における正しい位置づけをもつためには、健康教育と人格教育の中で考えられなければならない。一日も早く、家庭においても学校においても、性教育が積極的に実現される必要があることを強調したい。
――昭和45年9月6日 第17回近畿学校保健学会 抄録集 より――
|