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第16回日本学校保健学会における特別講演より
学校保健と教育
神戸大学教授(教育学部) 佐守 信男
学校保健は、子どもたちならびに教職員の健康を保持増進することが目的である。一方健康は「教育基本法」第1条にうたわれているように、教育の目的である。したがって、学校保健の目的は、すなわち、教育の目的である。
以上のような考え方が通用するのは、学校保健学会など学校保健関係者の集いにおいてのみであり、これが、学校保健の専門性とその本質を、却って曖昧にさせ、ひいては、学校現場で学校保健が等閑視される一因にもなっている。
私は、この講演で、ここに使われている健康という言葉の概念を2つの意味に整理することによって、学校保健の専門性とその本質を明らかにすることができればと考えている。
学校保健の專門とする健康の概念は、公衆衛生学も含めて、医学的用語で語るべきものであることをはっきりすべきである。
これが「健康を保持増進する」という場合の健康の概念である。そして教育の目的としての健康は、これは何も学校保健の専用とすべきものではなく、およそ教育者のすべてが、わきまえねばならない教職専門に属するものである。
数学や音楽の教師が、数学に秀でていたり、歌をうたえなければならないのはもちろんであるが、それらは、それぞれの教科専門に強いというだけであって、美空ひばりが如何に歌が上手であっても、音樂の教師とはいい難い。教科の教師の場合においても、教科専門のほかに、教育の目的としての健康にかかわる教職專門が、その仕事のなかで生きていなければならない。これと同様に、学校保健が学校現場で市民権を得るためには、学校保健関係者は、まず学校保健の専門としての健康、すなわち医学的用語で語る健康の保持増進に専門的知識と技術と卓見をもっていなければならないのはもちろんであるが、教職専門に属する教育の目的としての健康が身についていなければならない。いいかえれば、学校保健の本質には、“学校保健の専門としての健康”と“教育の目的としての健康”が、同じ健康と云う言葉を媒介として、存在しなければならない。それでは、各教科の教師も学校保健の本質においてもなければならない教職専門に属する“教育の目的としての健康”という概念は、どう考えるべきであるか、ということが問題になる。われわれは、10年前から、神戸大学教育学部で“教育の目的としての健康”について研究と教育をする新しい学問を構築し、これを「教育衛生学」と名づけ、全学生に講ずべき学部必修の教職専門科目として開講している。その10年間の業績の一端をここに紹介して、“教育の目的としての健康”を、この機会に改めて考えていただく予定である。
学校保健の本質は、この“教育の目的としての健康”とさきの“学校保健の専門としての健康”とが、学校保健関係者のいわば熔鉱炉の中に熔け合い、それらの素材があとかたもなく消え、新しい仕事として噴き出してくる。その各人のもっている錬金術であると考えている。
学会員諸兄が、学校保健のこの本質によって、学校保健も装いも新たに、研究し展開するならば、学校保健は数学や音楽と同じように、そしてまた、学校保健は教科のみではないのであるから、それら以上に、学校現場になくてはならない独自なものとして花開くであろう。そういう意味において、この私のささやかな講演が、現在の学校保健をより発展させる一つの契機になればと、おこがましくも考えている。
――村上賢三:日本学校保健学会20年史、日本学校保健学会刊(昭和49年)より――
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