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第16回近畿学校保健学会を和歌山に迎えて
学会長 和歌山県立医科大学 教授 白川 充
このたび第16回学会を和歌山県で担当することになり、不肖私がその学会長の大役を仰せつかった次第であるが、学会担当者としていろいろな問題に直面してみて、考えさせられることが決して少なくなかった。私は当医科大学に赴任して早や9年目を迎え、その初年より近畿学校保健学会の1員として関係をもつことになったが、私の専門分野の公衆衛生学関係の多くの学会やその地方会に比べてみて、どうもすっきりしない気持で過してきたことは事実である。
今までにも、乞われるままに学会通信の誌上に感じたことや思ったことなどをズバリと書き続けてきたし、これに対して異論を持たれる方があるかもしれない。しかし私たちは「学会」と名がつく以上は、やはり学問をする人びとの集まりであり、学問を通じて近畿地方の学校保健が高められて、かつ実践の場に移されねばならないと思うものである。従来決してそうでなかったといっているわけではないが、この学会を運営して行く上に、少し人間の臭みが強く出すぎているのではないかという気がしてならないのである。
日本学校保健学会と近畿学校保健学会との関連がいかにあるべきかという問題や、日本学校保健学会を日本医学会の分科会の1つとして認めてもらいたいというような問題もある。他方では近畿学校保健学会は普通の学会と同等にとり扱うべきではなく、教育の現場に密着したものとして、レべルは少々低くてもよいという考え方もある。また一方では、学校保健は医学に基礎をおくべきかという議論もくり返されている。
学校保健というものは、そんなに複雑なものであるのか。私は学校保健の根本的理念と目標について、ここで論ずる必要はないと思う。医学と教育の総合された学問であり、現場における実践の科学である。
学問は空想ではありえない。人間の感情で律することも出来ない。真理の追求が科学なのだ。学校保健に関する真理の探求は、学校に関係する人びとのすべてに与えられている義務であると思う。学問には、真理の探究には、「眼」と「心」が必要である。「感情」は必要ではない。
また行政にたずさわる人の中には、学問に対する理解があまりにも少ないように思われる。日本の為政者の中には、えてしてそのような傾向の人間が多い。実に悲しいことである。科学性のない政治というものは、もはやありえないことを知るべきである。
学校保健は実践の科学である。真理が人間社会に生かされるためには、いろいろな方法があると思う。真理が文化としてとり入れられるためには、いろいろな機構も必要である。学校保健はそのような機構を通して、実践の科学として、現場に生かされ学校生活における保健の科学として、国民の健康保持に貢献しなければならないものである。
科学としての学校保健問題について、われわれは改めて、認識を新たにすべきであることを関係者各位に訴えたい。
近畿学校保健学会は、設立以来20年を経ており、りっぱな歴史と業績をもっている。この学会の発展は、今後ますます関係者や会員個人個人の自覚と努力のいかんにかかっているものと思う。感情を捨てて、「科学の眼と心」をもって、次代の日本を背負う小国民の育成に、われわれの微力をつくす決意を示したいものである。
――近畿学校保健学会会誌 第6号 昭和45年より――
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