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京都で開催された 第15回日本学校保健学会における 会長講演要旨
心身の弁証法的強健法
京都大学 教授 川畑 愛義
「人は2度と同じ流れを下ることもできず、可死的自然を同一状態において、再び捉えることもできない。なぜならばそれは散っては再び集り、近よってはまた遠のくからである。」(ソロヴィーヌ・エフェソスのヘラクレイトス」69頁断片87)これはギリシャ哲学のエレア学派に属するエフェソスのヘラクレイトスの言葉である。彼は東洋哲学と類同する思想をもち、「万物は流れて何一つとどまらない。」を強調する。
これらは東洋、とくに仏教精神における諸行無常あるいは万象流転などという基本理念と共通の背景をもっている。東洋医学の原典ともいうべき伏義の著と伝えられる素門、霊枢などの根本思想も万象一如、広大無辺の世界は変動して止まないという思想体系になっているようである。すでにあまねく知られているように、へラクレイトスの弁証法は、へーゲルの近代弁証法の先駆をなすもので、あらゆる事象を固定的に解釈しようとするのに反駁して、流動的あるいは史的に物事を思弁しようとする立てまえをとっている。従来の医学ないし衛生学、更に健康学においても、ともすれば体力、疾病、環境などを、その次元において限定的、固定的に理解し、処置しようとするきらいが少なくなかった。
ここに私は古代から現代に至る弁証法の変革にもかかわらず、一貫してその底流をなす万物は、流れて何一つとどまらないという根本諦念を導入したいと、希うものである。これは先にもふれた如く、東洋哲学ないし、東洋医学にも相通ずるものであろう、すなわち弁証法のあらゆる形態の中で、力動性という一つの共通な特徴を考えながら、人の生命の流れを追求していきたい。これに対立、あるいは囲繞する環境の生体に及ぼす作用を生命の側から定立、反定立、総合の無限に新らしい三段階的解釈をしていくことは、格別の意義をもつものと信ずる。フランスの哲学者ポール・フールキエは、その著書の中で次のように言っている。
「人間とは、その自然の形態の中にとどまったり、動かしがたい運命の中にとどまったりする存在ではない……。人間は永遠の変化にあずかる限りにおいてのみ、人間としてとどまる。彼は生成することにおいてのみ存在しうるのである。」と。
私はまずわが生涯における健康への歩みを、弁証的な考察のもとに追究し、これを発展させて、一般心身の強健法ないし、修練法についてわずかばかりのデータにもとづき假説を申し述べ、先進の示教を仰ぎたい。
――村上賢三:日本学校保健学会20年史,日本学校保健学会刊(昭和49年)より――
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