近畿学校保健学会

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 近畿学校保健学会へのそのときどきの想い 第 II 期
 

安全教育に思う

天理大学 教授   橘  重美


 子ども達に多い事故、とりわけ学校内で頻発する学童の事故災害に心を惹かれ、特に学齢期にある子ども達の安全を想い、そのための災害防止と安全教育の必要性を私が強く提唱してからもう20年近くになる。明治以来ほぼ100年、現在までの期間、歴史が風土に反抗し、そこから自由になろうとした時代のために、目まぐるしいまでの変化と混迷がつづき、特に終戦以来今日までの混乱と激動はすさまじいばかりであって、我々の現在の生活も、そこからくることの多いものを感ずるのである。事故災害の発生と多様化も現在では遙かに私の想像を越えて物凄く、就中交通事故は激増一途であって、全国の昨年の交通事故死者は13,904人という史上最高という悲しい記録をつくり、巷に交通戦争という新語が生れ出る世相である。広い空や海での事故も多い。政府も社会開発、人間尊重、物価安定、そして人命尊重と漸く最重点施策として人間の生命の尊さについて取りあげる気配であるが、もっと強力に生命保護の政策が推進されなければならない。一年前のBOAC機の遭難者の補償についても、一層この感が深い。日本人遭難者の補償金は一律660万円であるのに、同じ米人乗客に対しては、一人平均4,800万円支払われることに決まったことである。米国内の空の事故死については、最低2,700万円の補償金が、米政府の強い要請で各国の航空会社が認めているので、その実績と、他の交通事故の例を勘案してこの金額が出たと思われる。人命尊重がかけ声だけであったり、人間の命が粗末に考えられる国では、人の命もこんなに大きな差をもって安くあつかわれることを、この数字からまざまざと見せつけられた様な気がする。政府ももっとこの問題に真剣に取り組むべきである。戦後の教育の中で人間の健康の問題が大きな分野をもって取りあげられ、学校保健という歓ぶべき萌芽を見たのに、多くのこの道の識者が認めるように一向に望しい成長と発展がない理由の一つとして、健康の本質が忘れられ、観念的な健康だけが浮びあがり、こねまわされている事実をあげることが出来そうである。最近では安全教育へのかけ声と呼び声が高いようであるが、その殆んどが事故防止条例、乃至は災害防止対策とでも言うべきものであって、安全教育と呼ぶには程遠いものである。ここでも安全教育の本質が一向に考えられず枝葉末節のことがらが、さも重大らしく思われている。交通安全教育の下に各論として安全教育があると考えている人さえ多くいる。事故や災害を、ただ単に防止することのみが安全教育ではない。人間を形成する学問としての安全教育を考えなければならない。米国に於てはE.George Payne或はHarriet E.Beard等によって1919年『事故防止に於ける教育』なる著書が出版されたり、基本的な学校安全計画が形成され、安全教育が軌道にのせられてほぼ60年、漸くその効果が認められつつある。我が国に於ても真剣に熱意をもって安全教育の体系確立に努力がはらわれなければならない。事故は他人だけにおこるものであって、常に自分だけは例外であるとする人間の心理そのままが教育の中にも存在して、安全教育に多くの力が尽されていないようである。今や交通事故をふくめて、子ども達の安全を希う気持は、現在の緊要かつ重大な地域社会ならびに家庭の要望である。『創造と祈り』にも似た気持を持って教育の場にある多くの人たちによって、もっと人命尊重の理念が教育全体の中心基盤として筋金が通され、同時に安全教育体系を確固たるものにする。勇気と努力と、そして情熱が払われることを想うわけである。


――昭和42年3月31日 近畿学校保健学会通信 No.10 より――

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