近畿学校保健学会

AND OR   大文字と小文字を区別する  
ホーム
学会の目的・活動内容
会則/最新の学会通信
事務局からのお知らせ
次期学会について
入会ご希望の方へ
役員名簿
過去発表資料(表題検索)
学会通信(PDF検索)
50周年記念誌(表題検索)
リンク集
お問い合わせ


Powered by
kobe-u.com
 
 近畿学校保健学会へのそのときどきの想い 第 II 期
 

名誉会員に推薦されて

大阪府学校保健会 顧問   長谷川 等


 どういうことであったのか、第13回近畿学校保健学会総会において、岩田〔正俊〕、伊良子〔光義〕、千田〔勇〕諸先生の驥尾に付して私を名誉会員に推薦された。何か面映い、くすぐったい様な心境のまま“名誉会員になっていただきます”という「記」を会長伊東先生より手渡されました。いわゆる民間人として、学校保健会の一員として豊田〔順爾〕、西〔起三郎〕、伊賀〔政雄〕、和泉〔正忠〕の諸先輩に、今回の3人を加えて7人目ということになるわけで洵に光栄で、有難く拝受したわけであります。

  思えば、私のこの道への出発はもう45年の昔になります。ことは大正11年(1922)の夏やすみの思出であります。
九州の東海岸、豊後水道のつきるところに佐伯湾がある、それに臨んで、佐伯という古い城下町があってそこに郷土出身の大学生たちが、前年の約束で、この夏の休みには早く帰って、「帰省学生講演会」という催を持とう、勉学の報告演舌会と思って郷土の人達に聞いてもらおうと、新聞社の主催として夕べの大会が開催されたのでした。
その時の主なるメンバーとしては、九大医学部三年遠城寺宗徳君(七高出身、現九大学長)の「酒と人生」、東大医学部三年堺田博雄君(五高出身、現東京在住)の「春のめざめ」、早大英文学科の工藤好美君(台北帝大、現上智大教授)の「美の鑑賞」など見事であった。そして私(阪大、医科三年)は「教育と遺伝」という題で、30分間も喋ったものでした。この催は郷里の人々の絶大の賞讃を拍して、翌年も開催された。このことは私にとっての「教育のための医学」の研究への第一歩でもあったのです。
 
  阪大在学中、既に同学の大先輩の三田谷 啓先生の虚弱児童の教育を手伝い、同郷の大先輩岩崎佐一先生(桃花塾長)から精薄児教育の手解きを受け、少しおくれて、私の恩師布施教授の同期の竹村 一 先生に私淑していた私は先生を恩師として、師の跡を歩むことにしましたと申しますのは、永く阪大に残ることを許されなかった私としては、民間にありながら、学童保健を研究するには、学校医となるより外に道はないと考えたのであります。こうして学校医生活30年、今やっと、学校保健が少し判ってきたのであります。私は恐らく、この先も命ある限り「学校保健に生きる」でありましょう。

  書くように求められた字数はもう尽きるのでありますが、一言お許を頂きたい、と申しますのは、私が学会総会の壇上で「名誉会員記」を授与された時に、満堂の会員諸君の拍手を頂きましたそのなかに、今一人の、心からの拍手を、而も、たかだかに最っ先にして下さったであろう親友が、一人欠けていたのであります。その人は私とともに「名誉会員記」に値する今一人の功労者であったのであります。只、齢まだ58才というので、後日に譲られたようであります。 
 その人、大島明雄君は去る6月23日、住友病院に入院され、そして過る2月、大津市への途中発病された胃漬瘍を解決する目的で、手術を、自から進んで受けられたのでありました。
 本人はもちろん、誰れしも、君の死を想像したものはなかった。あとで、入院手術のことを知った私どもは手術後一週間もすれば元気な例の風半を見舞うことができると心待ちにしていたのに、どうしたことか、忽然として他界されたのであります。なんたることであろうか、ほんとに、大阪の学校保健の推進のために、日本の学校保健のために惜しい人をなくしました。 噫


――昭和41年8月10日 近畿学校保健学会通信 No.9 より――
註:文中の人名のあとの〔 〕内の記載は編集委員会による補足である

近畿学校保健学会のホームへ
近畿学校保健学会事務所
〒657-8501 神戸市灘区鶴甲3-11 神戸大学発達科学部健康発達論講座
2004 © 近畿学校保健学会 All rights reserved.