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第12回近畿学校保健学会の企画について
第12回近畿学校保健学会 会長 佐守 信男
青葉若葉のかおる昨年の5月、京都での第11回の本総会で不肖私が会長ときまったときに、その挨拶として、「とくに教育と関連した学校保健」を、このたびの学会の主題としたいと申し上げた。その「とくに教育との関連」をどのように学会の企画として盛り上げられるかという、現在、この企画の生みの悩みの最中である。
「学校保健は教育そのものである」と私たち仲間では、よくいわれる。しかし、学校保健管理一つを取り上げてみても、学校という教育の場で行なうのであるから教育であるというのでは学校保健でいう保健管理も、産業衛生でいう衛生管理も、本質は同じである。行なわれている場所が違うからそれによる違いがでている。ただそれだけのことである。「学校保健が教育そのものである」というためには、学校保健管理についても、「とくに教育と関連した」独自なものがなければならない。ここが、学問的にもむずかしいところであり、これが展開されていなければ、「学校保健法」という法律が公布されている現在でも、学校保健管理は教育担当者にとっては、ただ煩雑なだけで、学校現場で必ずしも生きてこないのである。
保健教育についても、そうである。「教育基本法」第一条で健康は教育の目的としてうたわれているからといって、医学での報道的知識を子どもたちにただ与えようとしている構えでは、所詮は、教育界からはうとんぜられるはずである。
実は、昨日、街の書店で入手した読売新聞社調査部編の「世界の教育」(東洋館出版社 昭和40年1月発行)のp173に、次のくだりがでているのに出合った。「日本の学校では、子どもたちの保健衛生といえば、とかく養護教諭まかせ。ところがその養護教諭を持ってない学校も少なくない。なかには養護教諭をおく予算で、英語や数学の教師をふやして、入試競争に血道をあげている向きもないではない。また、東京の教師たちの間では「校務分担で保健担任のオハチが回ってきたら、次の転任先をさっそく物色にかかった方がいい」との話をよく耳にする。テストに明け暮れる“学力戦争”時代の花形は何といっても国語、社会、数学、理科、英語の基礎五教科、保健などあってないような最低の存在、その担任が回ってくるようでは、校長ににらまれた証拠だというのである。どこの学校もみなそうだというわけではないだろうが……」この記述内容には、私たち学校保健学会の会員にとってはいろいろいい分のあることであろうが、この書物は、読売新聞の教育欄に昨年連載されたものを纏めたものであり、新聞記者の筆になるものである。世間一般の学校保健の現場を見る目として、素直に認めねばならない。
学校現場だけではない。昨年の暮に文部省から全国の教員養成大学・学部に要請された昭和40年度の入学定員のなかには、保健という教科に対する定員はないのである。保健体育という名称の教科すらなくなっている。教科以外の教職専門としての教育学、教育心理学においても、学校保健管理すら講ずるところは一般にないのであるから、教員養成大学・学部では、少なくとも形の上では、学校保健に関する研究や教育をする場は、まったくなくすることを要請されているということになる。
「人間の生命はもっとも大切なものである」ということは、戦後、折り目を正したわが国の一つの重要な理念である。一般社会では、新聞、テレビなど、マスコミのなかでも、確かに、何かことあるごとに、この理念が強く打ち出されている。しかし、不思議なことに、教育界ではこの理念は戦後20年にして以上のようにおき忘れられようとしている。現在の学校現場では、この理念をもとにした学校保健が全然ないとはいわないが、明日の子どもたちの人間形成を担当する教育者を養成する教員養成大学・学部では、保健という教科も保健管理を研究講義する場もなくなってきているのである。ここでは、この「人間の生命尊重」という理念は、昭和40年の現在で、すでに、まったく消えようとしているといっても過言ではない。それは、明日の人間形成の学校現場では、消えるということである。ひいては、わが国の「人間の生命尊重」という理念は、将来、消えるということを示唆しているということになる。
本学会の会員が貴重な研究を学会で発表し、「学校保健は教育である」と叫んでいる。これは、本学会内のことであり、いわば、教育界とは無縁の集団での出来ごとなのである。
これでいいのであろうか。これが教育界のこんにちの現状であるということは、誰でもが「人間の生命尊重」の理念を構えているはずであると考えるが故に、不思議である。しかし、私たちは、この現状が不思議であるとただ傍観しているだけでいいのであろうか。
私たちは、学校保健が教育界で以上のような現状になった原因について反省しなければならない。それには、いろいろな要因があるであろう。しかし、一つの大きな原因は、私たち教員養成大学・学部の保健担当者の学校保健への構え方にあると、私は考えている。「学校保健は教育である」といううたい文句だけではなしに、これの学問的な研究が真剣になされていたかどうかである。
学会とは、学問的な研究発表およびその討議がなされる場である。したがって、このような現状に対する学校保健学会の構えは、学問としての「学校保健は教育である」との掘り下げが一つの重要な主題でなければならないと考えている。
――昭和40年1月15日 近畿学校保健学会通信 No.4 より(一部省略)――
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