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保健教育はこれでよいか
大阪学芸大学保健教室 榊原 栄一
私は数年前2、3の志を同じくする方々と話し合って府の担当者を尋ねたことがある。
それは中学校、高等学校へ保健学専攻者を送り込むためであつた。その口上は免許法で保健が独立教科として認められ、私の大学のみならず大阪市内には保健学専門コースを開設して保健科の教師の養成をしている学校があるのに、保健科卒業生の教師への採用テストの門が閉ざされているからである。1回、2回と出向するにつれて遂には1人となったが6月下旬から9月末迄の3ヶ月間数日おきに通いつづけた。その結果えられたものは、某主事の並々ならぬ個人的努力と同情とによって頭初問題にもされなかった採用テストに何んとか割込めそうになってどの様な形式でか不明であるが翌年度の各教科テスト設定委員会に持込まれることに決定した。数日後約束の時間に、期待と不安を抱きながら府庁舎にその主事を尋ねたところ、貴殿の努力に感じて相当論議をつくしたが、大阪府としては保健科教師の採用は時期早尚であると決論されたことを聞かされた。全く割切れない気持で今日に至っている。無理が通れば道理が引込む程度ではなく、免許法という法律が定められたことが実行されないのである。しかもこれが教育の問題であり、教育の場においてである所に不安がある。
ひるがえって保健が必要だと考えている多くの人々にその理由を尋ねてみると、自分は結核を患って数年間療養生活を送ったから、自分は喘息持ちだから、自分は胃が悪いから等々と必ず過去か現在にどこか身体的な欠陥があって苦しんだ経験があるから、その苦痛に思いをはせて必要だという。病気の経験のない者は身体をきたえておけば病気になることはない、いわば身体の健康管理の立場からのみ必要性を考えるのが一般的通念であり、関係者もこの様に理解し指導しているのであろうか。この様な考え方の限界では保健学習の重要性が理解できる方が無理であると当時その様に感受した。
最近私は30校の高校卒業生数十名を対象にして保健学習の内容について調査したところ58.6%において保健教科は健康生活の土台として必要であると答えた。ところが授業をうけた学習内容にほぼ満足と興味を抱いたと答えた者は僅か20.7%であった。従って80%前後の者は不満足を訴えたのである。その理由は授業の内容が浅薄で系統的理論的でなく、教師自身にその内容がよく理解出来ていないという指摘が圧倒的に多かった。また受験に関係がないから、のんびり保健学習は受けられないし、教科書もなく授業もなかったから答えられないというのも相当数にのぼった。
以上によって現在の保健教育のレベルが何辺にあるか、どの様に実施されているか、従っていかにあらねばならぬかということが反省されよう。
――昭和39年6月20日 近畿学校保健学会通信 No.3 より――
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