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近畿学校保健学会会誌の再刊に際して
今年は1952年12月に、本学会創設について、はじめての協議会が開かれてから丁度10年目に当ります。その後の本会の生い立ちの様子を一瞥して見ましよう。1954年2月13日、大阪学芸大学に於て、最初の研究発表会が開催されました。はじめての試みとしては、なかなかの盛況で、参会者は200名に近かったように記憶しております。
引続いて6月12日に、大阪学芸大学で、創立総会を兼ねて第1回大会が開かれ会則役員などがきめられ、名実共に近畿学校保健学会が発足致しました。その後同年7月には、会誌第一号が創刊され、'55年7月に第二号、'56年7月に第三号が発刊されております。
次の年の総会は、大阪に続いて、奈良('55年)、引続いて大津('56年)、和歌山('57年)、京都('58年)、神戸('59年)、大阪('60年)、奈良('61年)、本年の大津と、毎年順調に開催されておりましたが、会誌は主に財政上の都合、その他の色々な事情のため、長い間、休刊の止むない状態にありました。
ところが昨年暮に大津で開かれた幹事会の席上、会誌再刊の話が出まして、その後編集担当者の間で、色々と準備が進められ、ここに会誌第四号が刊行されましたことは御同慶のいたりに存じます。
しかし、本誌の創刊の際に申しましたように、学会が生誕して会誌の発足という学齢期に達し、すくすくと生育しはじめたのでありますが、十分な健康管理が出来なかったため、発育不良の状態におちいってしまいました。そして6年間もの長い休暇を余儀なくされました。今後はこの苦い経験を礎に立派な成長を期したいと念願致しております。
何卒 会員の皆様、我々の学校保健学会である、学校保健の問題は我々の双肩にかかる、とのお気持でお互に援け合い、叱陀鞭撻して本会の、そして本誌の隆昌を期するようにくれぐれもお願い申し上げます。
――近畿学校保健学会会誌 第四号,昭和37年より――
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