(第7回近畿学校保健学会 会長) 冨士 貞吉
日本学校保健学会結成の翌年、昭和30年、京都で開催された第14回日本医学会総会の分科会として4月2日より3日間、京都女子大学の会場で開催された第25回日本衛生学会及び第10回日本公衆衛生学会を通じて日本学校保健学会から文部省、国立大学協会、並に大学基準協会へ「学校健康教育強化に関する建議案」を提出した。その?末と内容を記述し、後進諸兄姉の資料に供せんとする。
昭和30年前後における学校保健の理念や目的は巷間の人々は言うまでもなく教育者の中においてさえ、学校保健といえば往昔の学校衛生の観念にとらわれて学徒の保健管理のみと解されがちであって、自から学校内環境や学校生活中に児童、生徒等がうけるであろう心身の健康障害の原因を他律的に除去、もしくは緩和、あるいは予防することに重点がおかれ、また学校における学校保健の責任者である学校長や保健主事は学校保健は多くの医学の知識や技術習得を必要とする関係上、学校医や養護教諭に一任して自身で真剣に取組うとしなかったので教育面からの学校保健は一向に発展しなかった。私どもは学校保健は健康管理と健康教育との2面をもち、健康管理は学校医、学校歯科医、学校薬剤師、養護教諭、など学校教育一部のものに限定せず学校当事者すべての問題として学校教育の中に生きる融けこんだ性格のものにする。健康教育は学校教育法に基づく教育課程の基準に従って行うべきであるとして、従来、不振であった学校保健の健康教育強化を日本衛生、公衆衛生両学会を通じて文部省その他の関係当局に建議することになった。
以下、日本学校保健学会の建議案を採択し、日本公衆衛生学会と連名で文部省その他に建議されたてん末とその内容を日本衛生学会の学会記録から抄録して掲載することにする。
I 学校健康教育強化に関する建議の件
冨士貞吉、伊東祐一(大阪学芸大学教授)、村上賢三(金沢大学教育学部教授)、竹村 一 (神戸大学教育学部教授)、豊田順爾(同志社女子大講師)、萩野為寿(島根大学教育学部教授)、荻原郡次(大阪大学教授)、岩田正俊(奈良学芸大学教授)、川畑愛義(京都大学教授)、越智真逸(京都学芸大学教授)の諸氏より、学校健康教育強化に関し、文部省、国立大学協会、並びに大学基準協会に建議したき旨の提案(昭和30年4月3日衛生学会評議員会にて)があり、冨士氏よりその理由を説明。三浦衛生学会会長より、本案は昭和30年4月2日の日本公衆衛生学会評議員会にも提案、可決採択されているから、両学会合同して当局に建議したき旨を図り、満場一致、これに賛成した。
これにより斉藤 潔 、野辺地慶三、近藤正二、鯉沼茆吉、冨士貞吉、村上賢三、川畑愛義、竹村 一 、渡辺 定 、小栗一好10名が両学会合同の起草委員に選ばれ、これら委員によって起草された建議文と要望案(後出)は4月28日、日本衛生学会、日本公衆衛生学会両会長の連名をもって、文部大臣松村謙三、国立大学協会長矢内原忠雄、大学基準協会長橋本 孝 の3氏に提出された。
II 学校健康教育強化に関する建議
憲法第25条並に教育基本法第1条には、国民の健康な生活に関し国家がこれを保証することと、健康な国民の育成の重要性について明示している。
この目的を達成するためには、まず国民に対し適正なる健康教育を行わなければならない。しかるに学校における健康教育の実際をみるに、その内容においても、教員養成の方向においても種々再検討の上、改善すべき多くの点を含んでいる。故に日本公衆衛生学会及び日本衛生学会は健康教育強化の第一歩として左記の諸点につき関係当局の善処を切望する。
1.小学校、高等学校並に大学の健康教育の内容の体系連絡を確立し、それぞれの教育内容の改善をはかること。
2.保健学習を担当するに充分実力ある教師を養成すること。
3.現在の教員免許状の「保健」と「保健体育」の2種を「保健」と「体育」の免許状に改め、もって健康教育の強化改善をはかること。
4.現在の中学校及び高等学校の「保健体育」の教科はそれぞれこれを独立せしめ、「保健科」「体育科」の2教科とすること。これが実現をみるまでは暫定的に小学校及び大学の「体育」なる名称を中学校及び高等学校と同様に「保健体育」の名称に改め、その概念と用語の混乱を防ぐこと。
5.医学教育中に「学校保健」を重視すること。
以上、学校健康教育強化に関し、第10回日本公衆衛生学会並に第25回日本衛生学会において会員一同の総意に基づき文部大臣、国立大学協会長、並に大学基準協会長に対し強力に本問題の解決促進に当られんことを要望する。これに関する説明は添付要望書を参照せられたい。
昭和30年4月28日
第10回日本公衆衛生学会長 緒方洪平
第25回日本衛生学会長 三浦運一
文部大臣 松村謙三殿
国立大学協会長 矢内原忠雄殿
大学基準協会長 橋本 孝 殿
各通
III 学校健康教育に関する要望書
憲法第25条には「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。また教育基本法第1条(教育の目的)には「教育は(中略)心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と明示されている。
さればこの目的を達成するにはまず国民に対し適正な健康教育を行わねばならない。健康教育とは言うまでもなく保健学習と健康指導とである。
しかるに
1.現行の小学校学習指導要領一般編には「健康教育はある特定の時間を設けて指導するよりも、教科の学習や教科以外の活動のすべてを含めて、あらゆる機会をとらえ、あらゆる活動を通じて行われることが望ましい」と述べ健康教育の主要部分である保健学習には特に時間を設けていない。これでは健康指導と保健学習とを混同し、健康指導をもって健康教育のすべてであるかのように曲解している感がある。健康指導によって健康なる生活を行動化する。その行動に科学的な理論の裏づけをするものは保健学習であるから是非、小学校においても保健学習の時間を設けるべきである。現に健康教育に熱心な小学校においては校長の考で保健学習のために特設時間を設けているところが多いが、これらの学校では極めて良好な結果を示している。
中学校並に高等学校における健康教育は現在「保健体育」の教科の時間の一部をあてるのが建前となっており、また理科、家庭科、社会科の時間の中でも断片的にこれを行っている現状であるが、これでは不徹底であり、しかも中学校と高等学校との間に、その内容において明確なる差異は認め難く、極めて不合理な教育が行われている。
さらに大学においては一般教科目中の「体育講義」において大学基準協会案の示す「個人衛生、公衆衛生、民族衛生、衛生政策及び体育理論」につき2単位を必修せしめることになっているが、現状は講義名が「体育」であるためと、一方にはこれを担当する適当なる教師の不足に名をかりて「体育」面の講義を主としているところが多く、本講義の目的とする国民の健康生活に必要なる科学的理解を深める教育は殆んど行われていない。故にこれを改善するためには「講義」の名称を「保健講義」と改め、教授陣容を強化するとともにその内容を一層充実する必要がある。
以上を要するに現在わが国の小学校より大学に至る全教育課程において行われている健康教育は各学校間において、その内容にも何等体系的連絡がなく、断片的に行われている現状であるから、これらを検討し、各発達段階に応じ、またその地域社会の現状に鑑み、内容の体系的連絡を確立するとともに、それぞれの内容を充実する必要がある。
このためには、それぞれの学校において「保健」の教科をまず独立せしめることが必要である。また、これが徹底を期するためには文部省内の機構を改め、初等中等教育局と大学学術局とを通じて保健を担当すべき部局を設けるべきである。即ち、健康教育局とも称すべきものを設けこの内に保健課と体育課とを設置すべきである。
2.現在、中学校、高等学校では健康教育担当は学校長が「保健体育」、理科、家庭科、社会科その他の教科の担任教師の中から適任者を選ぶことになっているが、これらの担任者は健康教育の知識に乏しく、少なくとも現状では健康教育の目標はピントがはずれて、健康な生活を営むために必要な知識の要領を学び、それを行動化する力を育成することができない。殊に昭和29年12月27日文部省大学学術局教職員養成課長より「国立の教員養成を主とする大学学部長」宛に通達せられた中学校の教科に対する「基準試案」の如きは社会科の必修単位中、公衆衛生学は最低0、最高4単位となっている。社会科に公衆衛生学の必要であることは、ここに論ずるまでもないことであるが、これが最低単位数0と言うに至っては如何に健康教育を軽視しているかを如実に物語るものであって少なくとも最低2単位を必要とするのである。
また、同「基準試案」の教科中「保健体育」を一つの教科として取扱い「保健」の教科を認めていないことは根本的に改めねばならぬ点である。
同案の「保健体育」の教科の内容は
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必修単位数 |
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最低 |
最高 |
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体育実技 |
8 |
12 |
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体育原理 |
4 |
6 |
体育管理 |
2 |
4 |
生理学(運動生理学・解剖学を含む) |
4 |
6 |
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学校保健 |
4 |
6 |
| 衛生学 |
2 |
6 |
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計 |
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32 |
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24 |
となっているが、かくの如く「保健」と「体育」とを一つの教科に圧縮することは極めて不合理であり、以上のような内容では「保健」の教師としても、また「体育」の教師としても不充分なものであるから、これは「保健」と「体育」とに分離し、互の教科内容を充実し、実力のある教師を養成すべきである。
元来、「保健」と「体育」とは関連性はあるが、現実の体育は主として肉体の運動に関する理論と実践とを取扱っており、健康なる生活を営むための知識を啓発し、これを行動化し、習慣化させるように指導する健康教育とは、その内容と性格とを異にした学科であって特に前述の憲法及び教育基本法の精神からみれば、新教育に於ては「健康教育」は一層重視さるべきである。
3.現在の教員免許状は「保健」と「保健体育」との2種になっているが、これを「保健」と「体育」の免許状に改め、もって健康教育を強化すべきである。元来、「保健体育」なる一つの免許状で内容と性格の異なる「保健」と「体育」との授業を担当せしめることに無理があるのである。
従って、教員養成大学(または学部)においても「保健」と「体育」と教科を明確に分離することが必要である。これは保健学習を担当するに充分実力ある教師を養成する上に是非必要であるのみならず保健と体育を分離し、しかも互に協調せしむる方が両者のよりよき目的を達成せられるからである。
4.現在の中学校及び高等学校の「保健体育」の教科は上述の理由によりそれぞれこれを独立せしめ「保健科」「体育科」の2教科とすることが必要であろう。しかし、これが実現を見るまでは暫定的に小学校及び大学における「体育」なる名称を中学校及び高等学校と同様に「保健体育」の名称に改め、その概念と用語の混乱を防ぐことが必要である。
5.大学の医学部(または医科大学)においては「学校保健の問題」は現在「衛生学」または「公衆衛生学」の、小部分として取扱われ、しかも主として「健康管理」にその重点がおかれているが新時代の学校保健の推進力となるべき学校医としては「健康教育」と「健康管理」の両面にわたり、これを指導し得る能力を養う必要があり、新しい学校保健としてこれを重視し講義の内容も充実する必要がある。
以上の理由によって我々は首題の決議をした次第である。
IV 健康教育強化建議案の成果
建議案を提出してから3年後、昭和33年に文部省から学校保健法並に新学習指導要領が発令された。
これらの法令によると、さきに提出したわれわれの建議案の要望が殆んど全面的に採用されている。文部省当局の善処に謝意を表する。
すなわち
1.われわれの要望であった学校保健の分野として健康管理と健康教育の2分野が明示され、健康管理を学校教育の一部のものに限定せず、学校教育当事者すべての問題とし、健康教育は学校教育法に基づく教育課程の基準として改訂された新学習指導要領に従って行なうことになり、また学校保健の一環として推進さるべきものになった。
2.従来、小学校においては保健学習に特別に時間を設けていなかったが、新学習指導要領では小学校の高学年5年、6年で年間、体育時間105時間のうち10%を保健学習に当て、中学校では特設の保健学習の時間として保健の最低授業時間数を2、3両学年において、それぞれ保健体育の授業時間105時間のうち保健学習35時間を割当てた。また、全日制高校では保健2単位を学習することになった。
3.保健専攻教員の養成と保健免許状獲得
要望3項に述べた保健免許に関しては、文部省は教員養成大学では保健科専攻の教員を養成し、所定の専攻科目の所定単位(生理学、病理学、細菌学、栄養学、6単位。衛生学(公衆衛生学、救急処置、及び養護法)6単位。学校保健4単位。計16単位。) を修得したものには保健科教員として免許状を授与することを規定した。大阪学芸大学では夙に伊東祐一教授の努力により保健科は独立し、上記の文部省の所定学科の所定単位を4年間に修得させるようにし保健専攻教員を養成してきたが、地方の教育委員会のなかには毎年施行する教員採用試験科目から保健科目を除外し、受験の機会を与えていないから、4年の歳月と所定専攻科目の単位を物心両面に非常な犠牲を払って取得した保健科教員としての免許状も、現場の学校に就職の途を閉ざされて空手形になっており、勢い就職のために採用試験科目のうち何れかの副免取得に右往左往するの巳むを得ざるに至っている(学校保健振興の悲願と地域保健、拙著、公衆衛生、28巻、昭和39年4月15日、参照)。
折角、作った仏に魂が入らずまことに残念である。
こうして昭和30年に提起したわれわれの健康教育強化建議案が現在、どのように発展しているか、私は往時を顧みて静かに展望している。会員諸兄の御健康を祈る。
昭和49年8月20日記
――村上賢三:日本学校保健学会20年史,日本学校保健学会刊(昭和49年)より――
同様の趣旨の要望はその後第10回日本学校保健学会総会においても下記の要望書として決議され、文部省に働きかけている。
要 望 書
日本学校保健学会が、昭和38年11月7,8日の両日熊本市で開催した第10回総会で行った決議にもとづいて、国立学校設置法の1部改正によって教員養成を主とする大学、学部の学科目を省令で示される場合、別紙の要望事項を御考慮下さるようお願いします。
昭和38年11月2日
日本学校保健学会
会頭 栗山重信
要望事項
教員養成を主とする大学、学部における、教職に関する必修専門科目群に、学校保健を加えること。
要望理由
わが国今日の学校教育の様相をみますとき、小学校、中学校、高等学校いづれにおいても、有名上級学校への受験準備的教育に堕して、教育本来の人間形成の理念からははるかに逸脱していることは、遺憾にたえないところであります。これは、戦後10有8年、未だ民主化が徹底しないため、生命の尊厳性ひいては心身の健康が重視されるに至らない社会的風潮によるものであることはいうまでもありません。この悪風潮は一朝一夕に改め得るものではないとしても、まず教育に力を尽くして、少なくとも次の世代に悔をのこさないよう努力することが、今日のわれわれの最低限度のつとめだと思います。
教育基本法第1条(教育の目的)の中に明示してある「心身の健康」をめざす保健教育は、学校教育領域内でも基本的重要分野であって、保健の教養は全教員に共通的に必要なもので、また小学校学習指導要領の総則中に「保健に関する事項の指導は、各教科、道徳、特別教育活動および学校行事等の教育活動全体を通じて行なうものとする。」とあって、教師は1人残らず子どもの保健指導にあたらねばならないはずであります。
ところが、従来、教員養成大学では、小数の特別のものを除いて大多数のものに、保健を履修させないで、教員免許が与えられる制度になっています。
教師の保健に関する指導能力が不充分では、学習指導要領の基準も無意味となりますし、だいいち教育基本法の要求する人間形成もおぼつかないわけであります。
以上が、教員養成大学の教職に関する必修専門科目群に学校保健を加えることを要望する理由であります。
――村上賢三:日本学校保健学会20年史,日本学校保健学会刊(昭和49年)より―