近畿学校保健学会

AND OR   大文字と小文字を区別する  
ホーム
学会の目的・活動内容
会則/最新の学会通信
事務局からのお知らせ
次期学会について
入会ご希望の方へ
会員名簿
過去発表資料(表題検索)
学会通信(PDF検索)
50周年記念誌(表題検索)
リンク集
お問い合わせ


Powered by
kobe-u.com
 
 近畿学校保健学会へのそのときどきの想い 第 I 期
 

故 伊東祐一先生を偲んでのあれこれ

上延 富久治(大阪教育大学 名誉教授)


先生の大きな功績の一つとして、特に学閥に囚われず保健学に関する人材を幅広く集められ、教育系大学としては、質的にも数的にも他の追随を許さない「保健学教室」の誕生に中心的役割を果し、更にその充実を図ってこられたこと。これは、保健管理や保健教育を学校教育の場にきっちりと位置づけることの重要性に対する先見の明があったればこそと今なお深い感銘を覚えております。勿論「養護教諭養成所」の設立についても然りです。

今一つは、学内のみならず広く「心身共に健康な国民の育成」を目ざすには、どうしても組織力が必要で、それを適切に活用し、増強することの重要性を認識され、この分野での先駆者らと計り、同学の士を募り、本学会及び日本学校保健学会の設立の立役者の一人として、その普及と充実に情熱を傾倒されたこと。という訳で、初代の本学会会長に選出されたのは当然としても第2回及び第13回と三度も学会長を経験されたのは今日に至るまで先生以外にはありません。

私が助手に採用されたのは昭和36年(1961年)ですから、正式に下っ端でその運営に参画したのはそれ以降ですが、それまでの実状を仄聞するところによりますと、先生の方針で本学会創立当時から年1回の学会誌を刊行予定のところ、財源の遺り繰りの困難や論文等の寄稿が存外少ない年もあって前後計7年間に5回出版されたとのことです。

このようにして、恐らく伊東先生の構想では半恒久的に事務局を本学に据え、自ら君臨(例えば理事長)しようという意図があったように思うのは、満更邪推ではなさそうです。大阪学芸大(現教育大)天王寺分校(大学本部所在)は地理的にも二府四県の略々中頃に位置する関係もあって、会議室でその会議(定期的か不定期であったかの記憶は定かではありませんが)が度重なるうちに雰囲気がだんだん険悪化し、先生と当時の他の所謂重鎮の方々(その名はここでは差し控えますが)との間で、あ然とする程の熾烈な確執が募って行き、傍目には事の当否よりも正に Sturm und Drang のような感情論と化し、先生のやり方に対し傍若無人と言って憚らない程の猛烈な反対にあい、脆くもその構想が潰え去るといった複雑ないきさつがあったように記憶しております。

序でながら、当時の大阪には大島、長谷川両先生(いずれも故人)のような学校保健に大変熱心な校医さんもおられ、所謂“善意銀行”のように本学会を熱心にサポートされ、ある面では活気に満ちあふれていた一時期もありました。殊に大島先生(診療所は心斎橋界隈にあり、所用で2〜3度寄せて頂いたことがある)などは常に中庸の立場から学会発展のためには「風通しを良くせにゃ……」と口癖のように両陣営の対立を案じておられました。それから1〜2年の低迷期を経て、こじんまりとした現在の「学会通信」は、確か昭和39年(1964年)京都での学会に際して発刊され、今日に至っております。

この事に関して、深い事情がよくわからない若かりし頃の私見ですが、客観的には、折角優れた構想を持ちながら、それが実現出来なかったのは、先生の不徳の致すところであり、先生がもう少し謙虚で、人の“和”と協調性を重視されていたならば、大方の賛同を得られたのではないかと思いました。それを基に、時の流れと共に変化する社会的ニーズに基づく学会の在り方に則し、軌道修正しながらもその根は強く張られ、本学会は今日以上に発展していたのではないかと些か惜しまれるところです。

追悼文としては、私の人間性が疑われそうな型破りなものであることは、重々承知の上で綿々と書き綴ったのも、先生には失礼ながら、勿論私自身も含め“他山の石”となし、口先きだけでなく、お互いに“隗より始めよ”と自省する意味あいもあって、この追悼文に託けて禿筆を呵した次第であることご賢察頂ければ幸いに存じます。
最後になりましたが、下記の短文は先生が大阪教育大学ご退官の際、その感慨を簡潔に詠まれた句でございます。

感無量の一語につきる
人生とはこんなものかと、無力な一人の男の生きかたを経験したに過ぎない。
思い半という言葉があるが、
思い半に達すれば上々、
思いの何分の一か。

実は、どういう心境でこの意味深長な句を詠まれ、殊に「思い半」とは何を指しての思い半ばか具体的に知りたくて、いつの日か一度お尋ねしたいと思いながら、忘却したままとなり、所詮今ともなれば“神のみぞ知る”こととなりました。

なお、圓山一郎先生と岩田正俊先生とは全く面識がないはずですが、伊東先生とは両先生とも大変ご懇意な間柄で〔奈良学芸大学教授であった岩田先生は、近畿学校保健学会発足の時から副会長として伊東先生を補佐され、第2回年次学会を奈良で開催するに際してもその実現のために尽力されております――編集委員会 付記〕、このお三方が期せずして同じ年に逝去されたことは、伊東先生側からは、何か不可思議な因縁すら感じます。どうぞお三方共、仲睦まじく来世の霊泉で安らかにお休みになられますよう、ご冥福のほど、衷心よりお祈り申し上げます。

合掌
――平成10年8月31日 近畿学校保健学会通信 No.91より、一部抜粋――

近畿学校保健学会のホームへ
近畿学校保健学会事務所
〒657-8501 神戸市灘区鶴甲3-11 神戸大学発達科学部健康発達論講座
2004 © 近畿学校保健学会 All rights reserved.