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学会設立当時の思い出と将来について
村上 賢三
(金沢大学名誉教授・北陸学院短期大学教授・日本学校保健学会幹事)
日本学校保健学会を設立する為の準備会ともいうべき会が、昭和29年の春東京で開かれたことは遠城寺、湯浅両氏も書いておられる通りであるが、その時当時の日本学校保健会の理事長であった岩原 拓 氏に、私は「日本学校保健会は何を目的にする会ですか」と質問した処、岩原氏は「日本学校保健会は学校保健に関する全国の総意を結集する会である」と答えられたことを記憶している。
われわれが新に創設せんとする「学校保健学会」は学校保健を学的に研究することを目的とする会であって、学校保健の向上発展の為には同一目的であるから之を「日本学校保健会」の研究部門とすることも一つの考え方ではあるが、独立した会として出発し、互に協力してゆく方がよいであろうということに意見が一致したのである。当時既に各地区には、地区の学校保健学会が結成され、実際活動もつづけられていたので、まずこの地区の学校保健学会を結集して、連合体的形態で発足することにしたのであるが、中国四国地区と北海道地区には、当時まだ地区の学会が結成されていなかったので、まず之が結成を促進することを申し合せたのである。この為に村江通之氏が書いている様に、当時文部省にいた湯浅謹而氏が、村江氏に働きかけ、村江氏の努力で中国・四国地区の学会が結成されたのである。このことが一部の人々から、文部省のお声がかりの学会は面白くないという声がきかれた原因である。
北海道の地区は井上善十郎氏が逝去され、まとめ役の人がなく、少しおくれたが、高桑栄松氏の努力により、昭和41年11月6日に第1回の「北海道学校保健学会」が結成され、これが「日本学校保健学会」に加入されたのである。以上の連合体の形から、今日の会員制になったのは、昭和38年11月からである。
――村上賢三:日本学校保健学会二十年史、日本学校保健学会刊、(昭和49年)より――
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