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日本学校保健学会の設立まで
戦前には、各地において校医を中心にした「学校衛生」に関する研究会は開かれていたが、所謂学会と名づけるものはなかった様である。
戦後間もなく京都市を中心に、古屋貞造氏らが中心となり「学校衛生学会」が開かれ数回に及んだとのことであるが、如何なる理由か、その後立ち消えの形になって了ったのである。
その後昭和26年6月に、金沢を中心に「北陸学校保健学会」が創設された。
この学会の性格は、学校保健の諸問題を研究者と現場の学校の教職員・校医等とが互に協力して研究し、その結果を実践することによって学校保健の向上を計らんとして、最初に北陸三県下の小・中・高校の学校長・保健主事・養護教諭、一般教師・PTA・学校医・学校歯科医・学校薬剤師及び学校保健に関心をもつ研究者等によって結成されたものである。この学会の設立が一つの動機となり、同性格の学会が、その後九州地区に結成され、次で東北地区、近畿地区、関東地区、中・四国地区(北海道地区はややおくれた。)にも結成されたのである。
其後これ等の地区学会が集り、連合体の形による統一された学会になったのは、昭和29年10月8日に島根大学において、第1回の日本学校保健学会が開催されてからであるが、それ以前に東京において学会結成の為の準備会がもたれたのである。
この発展過程の中で昭和38年11月には地区学会の連合体の形から、今日の会員制による統一された学会に発展してきたのである。
――村上賢三:日本学校保健学会二十年史、日本学校保健学会刊(昭和49年)より――
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