近畿学校保健学会

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 近畿学校保健学会へのそのときどきの想い 第 I 期
 

学校保健との出合い

伊東 祐一


私は大学卒業後、戦前までずっと生体に対する温熱の影響というテーマに興味を持っていた。それが進んで自然の温水域である温泉にどんな生物が棲んでいるかという問題へと移行し、この研究は当時の帝国学士院の研究費助成によって、「日本における温泉動物の研究」という一連の仕事として一応まとめることが出来た。その後九州大学温泉治療学研究所に籍をおくようになってから、「天然温泉の生体に及ぼす特異作用」という研究と取り組むことになったが、これをまとめたのが私の学位論文である。

終戦後昭和24年に新制大学が発足し、そこでは従来の大学にはなかった全く新らしい教科「学校保健」が必修科目として講ぜられなければならないことになった。ところがこのような学科目を担当すべき教員は、1、2の先覚者を除いては皆無といってもよい状態であった。それは当然のことで、従来の大学にはそのような講座は無かったので、従って研究者もいなかったわけである。そこで的外れではあったが、多少とも類縁関係があるとでもいったのであろうか、基礎医学関係の人々がかり出され、かり出ることになった。殊に教員養成大学においては、「保健科教育法」とか「保健教材研究」といった、眼新らしい科目が出て来た。「学校保健」は「学校衛生」という名のものがあったので、まだしもよかったが、上記の2科目については全くこれを講義し得る教員にこと欠いていた。

もともと基礎医学系の人々には教育学の素養はなく、好んで又はかり出されて「学校保健」の旗の下に集った面々は、当惑し戸まどってしまった。中には熱心に教育学の勉強をはじめた人もいたが、附焼刃式では一朝一夕に出来るものではなかった。私なども「学校保健」、「健康教育」は大切な教科で、将来の日本の運命を左右にする、児童・生徒の健康を守る砦であると考え大上段にかまえたものの、如何にせん、何等予備知識のなかった者には、どこから足を踏み入れてよいやら雲をつかむようなものであった。勿論、適当な参考書があろうはずはなく、僅かにアメリカにそれらしいものが、多少あったに過ぎなかった。それを金科玉條のようにして、門前の小僧ぶりを発揮していた次第である。

もう大学の講義ははじまり、待ったなしの段階に追いこまれてしまった。そこで2、3の協力者と共に「保健体育・保健編」なる一書を書き上げ、講義の欠を補うことにした。今にして思えば汗顔の極みであるが、当時としては施す術がなかった。その後しばらくして日本学校保健学会が発足(1954年)し、除々に学校保健の形態が整えられるにいたった。しかし極端な言葉を以ってすれば混沌の域を脱することは出来なかった。従来の「学校衛生」という観念から抜けだすには、ある時間を必要とした。何しろ「学校保健」とは甚だ複雑な存在で、それが学としての体系が確立されるまでには、多くの人々の努力と研鑚、そして相当の年月を必要とするのではなかろうか。こんなことを書くと、もう「学校保健」は定義づけられているぞ、お前の不勉強で馬鹿なことをいうな、というお叱りの声が耳に聞こえるような気がする。
   ―一村上賢三:日本学校保健学会二十年史、日本学校保健学会刊(昭和49年)より――

 

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