特 別 講 演
文部省初等中等教育局保健課長 新井 英夫
近畿学校保健学会発会の意義ある大会に参列して誠に光栄に思っている。学校保健の問題はむずかしい事であり経済、医学、心理、衛生学の諸学科を含めて立つもので複雑であり、それが為生活学習を字で表わしたものであると思う。その意味で学校保健学会を単純に生理、医学会等と考える事は誤である。
九州、北陸、東北における学校保健学会の発足を見、近く全国学校保健学会が発足する様になっている折からこの近畿学校保健学会が盛大に行われた事は誠に喜びにたえない。又先般は東海地区学校保健学会の準備ができ、近くその総会を行うことになっている。皆様方の絶大なる御援助をお願いする。
私、今日は少し生活統一を欠き体の調子が悪いのでどんな話になるかわからないが、エネルギーの問題を中心に話を進め様と思う。人間は生活していく上において力を出しきっては困る。日常生活において、人々は今日の生活より明日の生活は倍働く様にしよう、今日も明日も変わりなく大いに頑張ろうという欲望をもっているが、その時エネルギーの消費と再生産という事を考えることが重要なことである。
我々がエネルギーを使う、運動をする、というような消費ばかり続けているだろうか。これでは死ぬより他はない。そこで再生産という事を真剣に考えるべきであり、今日より明日のよりよい生活を望むためには消費と再生産のバランスの保持という事が問題となる。人間が年を取る、その意味でこの平衡を保つという事を考える時常に蓄積を考えなくてはならない。そこで私達は余裕力の原理を考える必要がある。我々は三養という言葉を使っているのであるが、三養とは即ち教養、休養、栄養である。この三養のバランスがうまくとれた時明日の生活によりよき進展が見られる。
従来は動物的に栄養をとり唯大きくなるのだと思われたが私は人間の叡智のためにこそ栄養が必要であると考える。人と動物との食物の相異は人間は栄養を取って大きくなるというより叡智のために食べなければならないという点である。「人間の体は3ヵ月ごとに変わるものである」と九大の仲教授が云って居られる様に身体の外見は変わらないが内容それ自身は完全に変わってしまうのであって、それは食物によるのである。このような意味に於いて我々の体の栄養は真面目に考えるべきである。例えば大体赤ん坊の頭の発育は7歳〜8歳になると80%近くの大脳の発育をするといわれているが、その大脳の発育それ自体を考えるとレシチン、類脂肪体の増大は大脳の叡智に比例すると云われているので栄養は人間の叡智に関係すると考えられる。又味の素のグルタミン酸ソーダは大脳細胞になくてはならないものであるという事から考えてこれを飲ませることにより馬鹿が賢くなるのではないかという事をアメリカで研究しているほどである。
これに関してエネルギーの消費と再生産を考える時、拡大再生産という事を労働力の問題と合わせて考える事が必要であり拡大再生産を確立させるものは今の三養である。我々の肉体は40歳ともなると衰える。しかし我々の智恵は衰えない。Reserve not lackであって自身の力の弱さを智恵により充分に蓄え得る。教養を高め栄養を高める事により今日の生活を明日にもっていく事が出来る。三養を力動的にバランスを取るという所に問題があり、拡大再生産の状態におく事が必要であると考えられるのである。私達が運動の選手を考える時、この問題に注意せねばならない。例えば選手を管理する時、運動をすると食事が進むのは当り前の事で当り前の様にしない事が大切である。そこで運動選手の健康管理にも三養を与えることが大切である。正宗の名刀は諸条件が完全に備わって初めて出来たものである。この事は余程考えなくてはならない事であり条件適応という事を考えて訓練する事が必要である。「もやしになる様な人間を作ってはいけない。」環境に適応出来るしかも自分に適した環境を積極的に作る様な人間が必要である。――環境に適応する人間を訓練する必要がある。その意味で訓練は大いにせねばならないが同時にこれに必要な諸条件を科学的によく考え適応していく事が大切である。
特に健康観の問題について健康は単に身体的なものだけを考えるのではなく肉体的、精神的、社会的に最良であるもので人生70年間にわたって継続するということに問題があると思う。三つの変わりゆく諸条件(行動、環境、心身)の変化を巧みに組合わせる事に健康教育の妙味がある。健康教育は生理、理科を教えているのではない。行動、環境、心身の三つの組合せを上手に導くことが健康教育であると考えるものである。健康教育は何か?「生活の事である」と答えた学生があった。ここまでくると日本の健康教育も成功したものだと考え得る。生命に対する無知が人間の知識の特徴であるとベルグソンはいったが20世紀の今日、なおこの様な考えであってはいけない。生きぬく力というものを一体誰がどこで養ってくるのであるか?人格の完成をめざして心身ともに健やかな国民育成の態度の中に何か我々はそれより一歩手前で止めている事がある。手段におぼれ人間完成に向って何物かを忘れているの感がある。いずれにせよ新教育が皆様の力によって健康教育に向って進んでいる事は喜ばしい事である。しかし日本の健康教育はまだまだ確立されていない。世界の健康教育もまた確立していない。日本人は日本人的な健康教育を確立せねばならない。皆様の協力で日本が国民病のない国にする事一つでさえなかなか大変なことだ。日本の結核病により失う金は二千億を突破している。この結核病がなくなれば日本の情勢は非常に変わってくる。
親子代々寄生虫と共存している現実をみると、これで社会を如何に改造して来たといえようか。日本の健康保健の面から実に反省させられる問題である。日本は実に文化と非文化の混在している国である。我々は教育によって健康的な生活を自らの力できりひらいていこうではないか。
――昭和29年2月13日 研究発表会 抄録集より――
|