編集委員の声
上林 久雄
近畿学校保健学会の発足時の思い出
1953 年の秋ごろより、大阪学芸大学の伊東祐一、冨士貞吉両先生、奈良学芸大学の岩田正俊、京都大学の川畑愛義各先生、それに、大阪校医会の大島明雄、長谷川
等、西 起三郎各先生により、 1946 年 の WH Oによる「健康の定義」にもとづく学校環境、健康な学校生活、学校保健事業、健康教育等の推進のため、戦前からの学校医、学校歯科医が中心となり、文部省の外郭団体として組織されていた「学校衛生会」を衣替えして、各地域の教育委員会を
中心に、校長、学校医、教師、及び地域社会を加えた「学校保健会」が誕生したが、大阪を 含む近畿地区では、大学等の研究機関が学校現場での健康問題を研究して、その成果を現場へ戻し子供の健康の維持、増進に寄与する学会として、近畿学校保健学会が発足したのである。
1954 年に、第 1 回学会が伊東先生を発起人代表として開催されたが、当時、各発起人の先生方は一国一城の主(あるじ)として経験と権威を持たれ、その運営には互いに諤々(がくがく)の議論があったようだといわれていた。また、参加発表の人を集めるのに、苦労されたようである。しかし児童生徒の結核予防、歯科衛生等の現場での問題点が現場の教員から発表され、従来の臨床医学会や衛生学会と異なる学会であることが、明確にされた。
第 2 回以後は、結核予防、寄生虫対策等の当時の地域社会をにぎわした保健問題が主に発表されたが、現在問題となっている児童生徒の精神面の行動についても、発表されており、学校教育における精神保健問題は古くして新しい事でもあると思われる。
その後の学会発表には、各学校の児童生徒の健康上の問題点の指摘やそれに対する現場の解決についての考察等が見られるようになり、近畿学校保健学会の基本理念にふさわしい傾向が見られたが、何分、会員が、校医や大学教員、現場の教師等であり、学会発足時より、学校での健康問題を取り扱う校医会、歯科医師会、薬剤師会及び現場の校長、教員、
PTA をも含めた組織である各府県の日本学校保健会と学校保健学会とが現場の教員の間で混同されていたが、年とともに、学会の意義が明確化され、現場の養護教諭を中心とする教員の研究発表も、回をかさねるにつれ優れたものもあり、特に大学教員の指導によるもの、また共同研究等の発表は、専門学会の研究にもふさわしいものもあった。教員養成大学に大学院が設置されてからこの傾向は益々強くなりつつある。近畿学校保健学会は会員の研究の方向性が、発足以後
50 年をへても、発足当初の基本理念である「教育現場の健康問題を研究して、理論化したものを、教育現場に還元する事で現場の健康状態を維持増進する」ことが、他の学会と異なる点を認識することが、この学会の大きな使命でなかろうか。
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